家族日誌 2004年8月

コシヒカリの産直中西農場 2004年8月31日(火)
 今日で、8月も終わり。隣の津幡町の石川県森林公園で大昆虫展というのが今日まで開催されているので、弘彦に「行くか」と聞いたところ、「もちろん」と答えたので、早速行ってみた。さすがに平日なので人影もまばら。ヘラクレスオオカブトなどのカブトムシ、クワガタ、蝶がいっぱい展示してあった。なかでもカブトムシとクワガタをじかに触れることができる部屋があり、入ってみるとなんと200匹ぐらいもいるではないか。弘彦はもうおおはしゃぎで、手にとって木にぶら下げたり、カブトムシどうしを喧嘩させたりして、そこから出ようと言わない。しかし、このカブトムシこれからどうするのだろう。
2004年8月27日(金)
 今日も、北川尻地区の祭り。2軒はしごしなければならない。1軒目はOさん宅。県内でも有名な方であるが、ゲストは知らない人ばかりなので、早々に次の家へ。今度は5歳年上のIさん。メンバーはいつもと同じ。11時ごろ帰宅。最近、弘彦と遊ぶ時間が少ない。
2004年8月26日(木)
 今日は、北川尻地区の祭り。死のロード再開。北川尻地区は押水町内で2番目に戸数が多く、祭りは2日間続く。獅子舞も勇壮で一見の価値あり。明日もあるため10時ごろに引き上げた。
コシヒカリの産直中西農場2004年8月25日(水)
 今日は、父と母は親戚の法事、祖母はデイサービスセンター、妻は実家のお手伝い、弘彦は保育所で、久しぶりに家に1人きりだなぁと思っていたところ、弘彦が保育所を休む。たまには一人にしてくれよと思いながらも、まあ仕方ないか。それで何をしているのかというと、ゲームやったり、、ビデオ見たり、あげくには、お父さん遊んでと言いだす始末。お前、それなら保育所行けよという感じ。しかも午後2時ごろ、近所に住んでいるひとつ上の小学生が遊びに来た。どうして弘彦が休みなのを知っているのだろうか。まあ、普段から仲がいいので感が働いたということであろうか。しかし、弘彦がいると仕事に集中できない。明日はちゃんと行けよ。
2004年8月22日(日)
 今日も体調が悪い。ちょっと汗をかいてすっきりしようと考え、弘彦に「温泉でも行くか」と聞くと、「たまにはいいねぇ」と答えてくれたので、車で10分の距離にある「宝湯」へ行った。ここは正真正銘の温泉(千里浜なぎさ温泉という)。名前はやはり宝達山からとったらしい。色は黄土色でしょっぱい味がする。石油のような?匂いがして湯の花らしきものも浮いている。やはり、色、味、匂いのうちどれか1つぐらいないと、温泉という感じがせず、水道水のようでありがたくない。
 石川県には有名な温泉が多数あり、県の観光キャッチフレーズも「ほっと石川」という。一番近い有名な温泉は七尾市にある「和倉温泉」。「加賀屋」が有名である。湯は無色透明で味はものすごく苦い。加賀の片山津温泉も無色透明でちょっと塩味。山代温泉と山中温泉は無色透明で無味。それぞれの温泉地とも新鮮な魚介類をふんだんに取り入れた料理やサービスは最高である。ほかの温泉いってもこんな料理はなかなか食べれないと思う。ちなみに加賀百万石の金沢にある温泉は真っ黒な温泉が多い。(湯船の底が見えない)石川県は9割の市町村に温泉がある。こんなことからも、いいところに住んでいるなぁと実感してしまう。 
2004年8月21日(土)
 朝起きてすこぶる体調が悪い。そんなに飲んだ覚えはないのだが。完全に二日酔いである。しかし、今日は午前中に親戚の法事があり、夜は門前地区の祭り2カ所招待されている。案の定、法事の後の飲み会で、出来上がってしまった。夕方、姉が嫁いでいる親戚に祭りに行ったが、父は昼間の酒でダウン。私たち夫婦と弘彦の3人で行った。行ってびっくり、ズワイガニが1人に1匹ずつ並んでいる。こんなの初めて。しかし、今日は、もう1カ所招待されているので、その場を1時間ぐらいで切り上げ、F邸へ行った。メンバーは昨日とほとんど同じ。でもFさんの弟が来ていてまたびっくり。彼とは保育所から高校まで同級生。15年ぶりに会うことができて懐かしかった。
 押水町の各地区の祭りに異変が起きている。以前は祭りの日は何月の何日というふうに決まっていたのが、最近では何月の第何土曜日というように、曜日で決めることになったらしい。聞くところによると、青年団員が会社を平日に休みにくくなっているのが原因らしい。しかし、こうなると大変なのが神主さんである。今日も3地区が祭りを行っているのだが、どうやって対処しているのだろうか。
コシヒカリの産直中西農場

コシヒカリの産直中西農場

コシヒカリの産直中西農場
2004年8月20日(金)
 いよいよ祭り本番である。今日は夜に友達が来るので、朝から家を掃除するなどして、宴会の準備をした。弘彦もちょっとお手伝い。
 獅子舞は、今年は早く来る年なので、午後2時ぐらいにやってきた。弘彦は獅子舞の時の爆竹の音が嫌だということで、見ないと言う。再来年から獅子舞に参加するのに、こんな根性なしで将来大丈夫かなぁ。
 それよりも、大変だったのが愛犬ちび太、爆竹や花火のの音が大嫌いなため、いつもの家の前ではなく、納屋につないでおいたのだが、やはりパニックに陥ってしまったらしく、肥料の入った袋を爪でゴリゴリやってしまい、袋に穴があき、中身を散乱させてしまった。いつもなら家の前につないでおくのだが、花火の音で混乱し、家の壁をガリガリと爪でけずってしまうため、今回は納屋につないのだが、どうも裏目に出てしまったようだ。仕方なく肥料を別の袋に詰め替え、空気が入らないようにビニールテープで補修した。まったくわがままな割には気が小さいのである。主人に似たのであろうか。
 宴会は7時から開宴。4人が都合のため来られず、13人がほどやってきてくれた。しかし、もう1カ所行かなければならないという人もいて、9時ぐらいには半数が帰ってしまった。赤いシャツの人は中学のピッチャーの先輩Yさん。彼の投げ方をまねしたせいで、カーブが投げれなくなったしまったという苦い経験がある。しかし、そのせいで必殺のシンカーを習得したのも彼のおかげである。
 手前のチェックのシャツの人は前職の先輩Tさん。野球部で全国大会に出場したときの監督。職場で最もすごかった人。
 手前の紺色のシャツの人も中学の野球部の先輩Fさん。JAに勤務している。倒伏した弘宝米のことを相談すると「くず米にしかならんなぁ」とのこと。ショック。「花木やってみるか」とすすめられる。
 あっという間に時間は過ぎ、12時ぐらいでお開きになった。明日は門前地区の祭りである。「死のロード」が始まった。
2004年8月19日(木)
 明日20日は御舘地区の祭りである。祭りには獅子舞と神輿が出る。御舘の獅子舞は青年団(30歳まで)が主催で、大獅子(中3以上)と小獅子(小学2年から中学2年)がある。正午に青年団会館を出発し、御舘神社で祝詞奏上の後、神輿といっしょに各家(57戸)をまわる。途中、御舘会館で3回の休憩(宴会)があり、青年団の3割はそこで脱落する。各家をまわった後、最後にまた御舘神社へ戻るが、途中ささやかな花火大会があり、それを見物した後、神社の入り口でに20分ぐらい獅子舞を舞い、やっと入場できる。その後神輿が入場するが、青年団は祭りを終わらせたくないため、神輿を神社の中に入れるのを阻止しようと奮闘し、青年団を引退した人は、早く入れようとせてせめぎ合いが起こる。この攻防が30分ぐらい続き、青年団があきらめて神輿を中に入れた後、神主による祝詞が奏上される。そして最後は、通称「獅子殺し」という獅子舞を舞い、獅子が倒れて周りの人に踏みつけられて祭りは終わりを迎える。終了時間は午前1時ぐらいである。観客等も獅子舞を踏みつけることができるが、青年団の逆襲が待っている。
 押水町は26地区の集落があり、8月中旬から9月中旬ぐらいまでの間にそれぞれの地区で祭りが行われる。(この時期に押水町に来れば、どこかで獅子舞が見られる)その中で御舘地区は先陣を切って行われる。以前は10月だったらしいいが、夏休みを獅子舞の練習に充てるため、8月20日になったらしい。そのため、収穫祭だったものが、収穫祈願祭になってしまった感がある。本当は収穫も終わり、ほっとした涼しい時に日本酒を飲みながら祭りを楽しみたいものである。
 今日、祭りの招待のメールや電話をした。全部で17人。ほとんど押水町内の人であるが、私もそれぞれの地区の祭りに招待されることになるため、これから、祭りがほぼ毎日のように9月中旬まで続く。皆これを通称「死のロード」と呼んでいる。この期間中は、料理はオードブルがほとんどのため、だんだんと飽きてくる。また、メンバーもほとんどいっしょなので、だんだんと会話もなくなる。毎日のように飲むため、体調もすこぶる悪くなってくるという特徴がある。メンバーの中には、押水町のほとんど地区の祭りに招待されている者がおり、みんなから「神主」と言われている。1日で最高4軒の家をまわったというつわものである。
 祭りも、年に1回のイベントなので、大切にしていきたいと思う。
2004年8月15日(日)
 お盆で姉家族が家へやってきた。上の姉は津幡町に、次の姉は同じ押水町の門前という集落に嫁いでいる。2人とも一姫二太郎の子を持ち、上の姉の子は今年短大生になった。子供の成長は早いものである。下の姉の息子は中学2年だが身長が173cmになり、私が抜かれるのは時間の問題である。野球部のキャプテンをやっているらしい。2家族とも3時ぐらいに来て、9時ぐらいに帰っていった。その間、男性陣はずーっと飲みっぱなし。アテネオリンピックを見ながら、ワイワイやっていた。みんなが帰った後、弘彦が泣いている。どうしたのかと聞くと、もっとみんなと遊びたかったとのこと。仕方がないので、「20日は御舘の祭りやから、またみんな来るよ」と言ってなだめるしかなかった。
2004年8月14日(土)
 家族で墓参りをした。中西家は全部で6つの墓があるので、30分ぐらいかかった。年に1回しか、お参りしないので、もっと頻繁に来れば良いような気もするが、何回も来ると、寝ている先祖を起こすことになって、良くないらしいとのことである。
 近頃めっきり涼しくなった。農業者新聞では、早稲の「ゆめみずほ」の刈り取り時期が25日ぐらいだという。早いものでもう収穫のシーズンである。だんだんと慌しくなってきた。
2004年8月8日(日)
 8月7日(土)と8日(日)石川県民体育大会に参加した。この大会は、市町村対抗で40種目ぐらいの競技を行うもので、私も軟式野球で参加させていただいた。会場は川北町の金沢高校グラウンド。押水町から車で1時間ぐらいでいける距離である。7日の1回戦の相手は能登島町。4対4で抽選の結果辛勝。その後山中温泉で1泊した。押水町は石川県の中心にあり、どこで大会が開催されても2時間以内で行けるので、泊まることなど今までなく、初めての経験であった。なんでも来年、隣の志雄町と合併するので、野球協会の貯金を全部使ってしまおうというわけらしい。ともあれ、夜は派手に宴会。翌日は、ほとんど全員二日酔い。しかも、私に先発ピッチャーの大役が回ってきた。もうすぐ39歳で、体調も悪かったが、気合充分でマウンドに上った。しかしコントロールが定まらない。1回先頭打者に四球、続くバッターに、送りバント、次の3番バッターに左中間の2塁打を浴び、1点献上。次の4番にセンター前ヒットを浴び2点目。2回、3回は3者凡退に仕留めたが、4回に連打を浴び、また1点献上。その直後、監督から無念の降板を告げらた。結局交代したピッチャーも打たれ、5対0で完敗。試合前は、楽勝だと思っていた相手に負け、何とも無念であった。
 これで、私の野球人生も現役生活にピリオドを打つときがきたようだ。中学から26年間。辛いこともあったけど、すばらしい仲間と出会い、楽しい思い出がたくさんできて幸せだったと思う。すごく寂しいが、やっぱり野球をやってきてよかったと思う。
 これからは、後進の指導にあたろうかなぁ。 
コシヒカリの産直中西農場2004年8月4日(水)
 もうすぐお盆なので父に墓掃除をしてこいと言われ、草刈機や鎌を持って出かけた。
行ってみてびっくり、竹だらけ。昨年まではそんなに気にかからなかったのだが、どうもこのままでは日当たりや風通しが悪い気がして、この際切ってしまおうと決意。ホームセンターへ行き、のこぎりを買い、いざ出陣。直径15cmぐらいの竹を10本ぐらい切り倒した。本当によく切れるのこぎりだった。
 しかしここからが大変。奥まで引っ張っていくのが大変。息も切れ切れに苦労した。 おかげですっきり見違えるようになった。
 この墓は、戦死した祖父の弟のために曾祖母が建てたもので、墓の前にあるつつじも曾祖母が植えたものである。左側の小さい墓はもう一人の戦死した祖父の弟のためにと、30年ぐらい前に父が建てたものである。
 手入れをしないので伸び放題、荒れ放題。たましか掃除をしないので、こうなるのも当たり前。
 しかし、今年は見違えるほどきれいになったと自画自賛する私であった。
 中西家は、この2つの墓と先祖代々の墓、その他3つの墓を管理している。その他の墓と言うのは、管理する人がいなくなった古い親戚の墓などである。
 これらの墓は、高さが30cmぐらいしかなく、ほとんどただの石のようなものもあるが、中西家で、これからもずっと守っていこうと思う。

2004年7月

コシヒカリの産直中西農場

能登最高峰「宝達山」の清流で育てたコシヒカリ「弘宝米」を産直しています。

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